入院4日目。
大量出血からの切迫流産で入院4日目。
1月8日祝月曜日。12w4d。
朝から気持ちが悪く、空吐きがとても苦しい、腹圧もツライ。
朝ごはんは食べないつもりだったけど、大好きなとろろがあったので、ご飯にかけて食べてみた。あとは、胃に粘膜を張ると聞いたことがある牛乳。基本毎朝出るので、何口か飲んだ。
(牛乳好きではない)
点滴開始になる。
その日の勤務の看護師さんによって、刺される場所が様々だが、腕に4つ目の穴。
なんだか痛々しい。。
吐き気があるが、お昼は温かいそば。
半分だけ食べて終わりにした。
吐き気の分、飲んでないし食べてないので、トイレが極端に少ないのが自分でもわかる。
身体を拭くお湯を持ってきてもらったが、起き上がるのがしんどかった。
午後2時半熱を測ると微熱。37.7℃。
そうか、だからだるいし頭痛いんだ…^^;
アイスノンをもらい頭の下に敷くと、冷たくて気持ち良い。
夕ご飯もほとんど食べれず。
ご飯後、旦那と友だち夫婦(大学の同級生2人)が来てくれて、パジャマのゴムを入れ替えてもらう。
いろいろ話して気がまぎれるし、楽しい時間だった。
夜は頭痛がひどく、アイスノンを替えてもらい就寝。
何度か目が覚め、トイレに行くとお腹がきゅーと痛い…、、、(;ω;)。。
なんだか、気分のすぐれない。寝たり起きたり繰り返しながら朝を迎えた。
入院3日目。
大量出血からの切迫流産で入院3日目。
1月7日日曜日。12w3d。
朝目が覚めても、ふくらはぎは相変わらず痛い。
夜中に気持ち悪さがあり、朝も気持ち悪く。
睡眠がとれてないような感じがする。
入院してからつわりが落ち着いた気がしていて、食べ過ぎたかな?と思い、できるだけ少量ずつ食べるように心がける。
午前中の点滴。
水分もたくさん取っていることもあるが、トイレが近い。
お昼前に、息子(3歳半)が会いに来てくれた。
やっぱり私のベッドにやって来て一緒に寝転がってペタッとくっついて来る。
もともとあまり甘える子じゃないけど、離れている時間が長いし、実家に行くことを話したから、寂しいさを感じているんだろうなぁ。
産まれたときから、離れても数日くらいしかないから寂しいよね。
ママもすごく寂しい…(;ω;)。。
息子は午後、もう一度会いに来てくれて
「ママ、じいじのお家に行って来るね。」
「ママがんばってね」
と、言って、実家へ出発していった。
私の方は、ほんの少しの出血のみになって来ました。トイレの時に確認して出てるかな?くらいなので、本当に少し。
それよりも胃腸の調子の方が気になる感じ。
夕飯は、夫が自分の分も持参して来て一緒に食べることに。
口を開けば「さみしいね」「〇〇(息子)どうしてるかな?」と、息子の話ばかり。
暗い夫婦です^^;
でも夜ごはんがおいしくておいしくて、食べ過ぎたのか、食べて30分後くらいに嘔吐。
結構吐いてしまい…。。
看護師さんに吐きました…(;ω;)と申告。
夜中胃痛にやられ。。。
そしてふくらはぎもやっぱり痛い。
夜中のトイレの後に声をかけられ、吐き気がすることとふくらはぎが痛いことをようやく話してみた。
とりあえず、部屋のソファに置いてあったクッションを足の間に挟んだら少し楽になった気がする。
あと、買って来てもらったパジャマが妊婦用ではなかったので、ゴムの締め付けがツライので、ゴムを切ることを決意。
深夜2時頃、友だちに連絡をし、時間ある時に替えゴムを持って来てもらうことになった。
吐き気が止まらず、あまりよく眠れないツライ夜だった。
入院2日目。
入院2日目。1月6日土曜日。12w2d。
夜は寝る前はしばらく痛みと戦っていたが、トイレに起きた頃には落ち着いていた。
深夜一度トイレに起きたら眠くなくなってしまい、朝まで眠れず。朝ごはんも運ばれて来た。
私は寝るのは好きだが、寝る環境を整えないとゆっくり寝れないタイプ。
しかも旅行とか入院とかイレギュラーな時は、脳が興奮して眠れなくなってしまう。
なぜか昨日まであったつわりの気持ち悪さが、あまりなくなっていてご飯が食べられる。
つわりが急に終わるのも怖いなと思いつつも。
この病院の食事、豪勢でおいしい…!
食事をおいしいと思ったのはいつぶりだろうと思った。
ずっと食べたい気持ちがなくて、吐くし、くだるし。でもお腹空くと気持ち悪いし。。
そんなくりかえしだったから…。
出血自体は、量は落ち着いていてトイレに行くと出ていて拭くと血が付く程度になった。
昨日あんなに痛みがあったお腹と腰の痛みはほとんどなく、安心した。
午前中は点滴があった。
私の場合は毎日1時間ほどの点滴が一回、薬が毎食ごと3粒。
トイレ以外の歩行は禁止。
なので、一日中寝たきり。
午後から、自宅にいる夫、実両親、息子(3歳半)が、会いに来てくれた!
息子は、普段からそこまでママ〜という感じではなく、ママがいなくて泣くことはない子なので病院に来てもそんなでもないかな?と思ったけど、私のそばに来て、ペタッとくっついたり、私のベッドに上がって布団の中に潜り込んだりしていた。
やっぱり寂しさを感じているんだろうなと思うと、切なくなる。
それでも、おやつ食べる?と言われるとすぐに食べる〜お家帰る〜となるので、単純である。笑
息子のこれからの生活については、昨晩夫と両親と義理両親で話し合ってくれた。
私の入院が、最低でも2週間と言われたこと。
でも、それで絶対退院できるわけではないこと。
先にも記してあるが、私の両親は車で2時間ほどのところに住んでいる。隣の県だ。
義両親は、県内に住んでいるが、車で2時間はかかる。義両親もまだ現役で仕事をしているため、長く休みを取ることは難しい。高齢の祖父もいて、長期で家を空けることはできない。
夫も管理職であり、仕事を長期で休むことは難しい。
一時預かり、という選択もある。
朝送って行って、夫が夕方迎えに行く。
でも、私達夫婦は、今一時預かりを利用することは避けたいと思っている。
息子は、4月から幼稚園に入ることが決まっていて、本人も多少の不安がありつつも「幼稚園に行く」と話している。
初めての集団、初めて親から離れるタイミング。
自分が通う幼稚園ではない一時預かりの場所に、行くはずもないタイミングで行かされる息子の気持ちを考えると…トラウマになりかねない。せっかくの楽しい園生活のスタートがはちゃめちゃになってしまう。。。
一時預かりは、どこもいっぱいで、同じところに長期間は難しく…毎日違う場所に行かなくてはならない状態らしい。
私としては、子の心の準備をさせないままあちこちのよくわからない場所に、ただ預けることだけはしたくなかった。
それは息子に対する裏切りになってしまう。
ちょっと重たいこと言ってごめんなさい。。
私、息子を産むまで子どもに関わる仕事をしてきました。
いつでも子どもの幸せを願って、誇りを持って仕事をしてきたので、子どもに対して失礼なことは絶対したくないのです。
いろんな可能性を考えて考えて…、、
出した結論。
私の実家に連れて帰ってもらう。
幸い、私の両親はよく会いに来てくれていることもあり、懐いている。
里帰り出産で3ヶ月ほどお世話になったので、赤ちゃんの時はずっと父にお風呂に入れてもらっていた。
なによりも、知らない場所で知らない大人や子どもたちに囲まれるよりも、大好きなじぃじばぁばと居られる方が息子も安心できると思う。
パパママと離れ離れになることは、寂しいことではあると思うが…我慢させてしまうこともあると思うが…
でも、今の時点で1番最良の選択であると一致した結論だった。
生活リズムとしては、
日中は母の職場(父の実家の自営業)にいる。夕方仕事終わりの父が迎えに行く。
父とお風呂に入って母の帰りを待つ。
母が帰宅後、夕飯を食べる。
という流れになる。
もちろん子連れ出勤となってしまうのだが(孫連れ出勤⁉︎)、従業員も少なく、日中は外にいることが多いし、少しの間ということで目をつぶってもらえるだろう。
理解のある職場でありがたい。
息子には、夫から話してくれたので、病室に来た時は自分の中で「じいじとばあばのお家に行くんだ〜」と楽しそうに話していた。
今は実家で見てもらうしか選択はない。
息子のことも赤ちゃんのことも守るにはこれしかないのだから…。
私はその夜、出血とお腹腰の痛みがなくなって安心していたが、今度はふくらはぎの痛みと戦うことになる。
痛みと言うのか、、、だるさ?重さ?
とにかく眠れないくらい気になる。
それでも横になっていないといけないので、ますます気になるふくらはぎ。
うまく眠れなくて何度も起きてトイレに行ってをくり返し…看護師さんに、言えないまま3日目の朝を迎える。
入院となった日2。
12週1日。
なんの前触れもなかったのに急な大量出血により
切迫流産で緊急入院。
入院となった日のことです。
慌てて病院へ向かった。10時半になる頃だった。
タクシーを使おうなんて微塵も考えなかった。
病院へは車で5分前後。
いつも通り車を運転して、息子と一緒に向かった。
その日、雪が降った2日後くらいで、道路の雪は所々溶けて、所々凍ってて、スピードを出すと危ない。
とにかく安全運転で、病院へ。
午前中は混んでることが多いので、いつも避けていた。その日は駐車場が空いていて、入り口の目の前に停めて急いで受付へ。
病院に着いた時には腹痛が始まっていた。
生理痛のような、考えたくはないけど陣痛と似てるようなそんな痛み。
まさか産まれちゃう…?
息子はこの病院にくるとジュースを買ってもらえると思っているので、ねだられた。
痛みと戦いながら、自販機でぶどうジュース。
ママの緊急事態にはあまり気にしてない息子。こんな時なのに笑ってしまう。
名前を呼ばれて中の待合室へ。
12週の妊婦健診の流れで、尿検査してくださーいと、軽く言われたが、めっちゃ出血してるけど尿とっても意味あるのか?^^;。。
とりあえず取ることにしたんだけど、パンツ下げてびっくり。
ナプキンにあふれんばかりの出血。
びっくりしすぎておしっこも全然出ないし。。
ほんのちょっとの量で勘弁してもらい、ナプキンを交換。
その後、体重、血圧、脈。でようやく内診。
先生が出血の量に驚いて念入りに内診。
もしかして赤ちゃん心臓止まっているとかあるかもしれないと思った。
でも、映ったエコーで赤ちゃんが動いているのが見えたので、安心した。
「これは、、、、血が固まっているな、、」
「なんだ?これは」
「わかんないなぁ」
という先生の言葉に不安になる。
息子は「赤ちゃん元気?」
「産まれるの?」「早く終わらないかなぁー」と能天気な発言。
内診が終わったあと、お腹のエコーもしてもらった。
見てもらいながら、先生から
「あのね、入院しないといけないよこれは」
と言われた。
「このままにしておいたら、大出血して救急車で運ばれてしまう」
「このまま入院になるから、お子さんのことどうするかとか旦那さんに連絡してみて」
真っ白だった。
頭の中が。
入院?私が?
息子の時は、一人前につわりツライと言っていたけど、バリバリ仕事してた。
仕事のために無理をして、赤ちゃんごめんねってよくお腹に謝ってた。
それでも元気に育ってくれたし、おなかの張りも何もなかった。
そんな私が入院?絶対安静??
別室を借りて、夫に連絡。
涙がポロポロ溢れてくる。
息子は「ママ誰に電話するの?パパ?パパ?」と興奮している。
夫は仕事中のため、電話に出ない。
そのまま実母に電話。
涙が出てしまいうまく話ができない。
私の両親はまだ現役で働いている。60歳はすぎてるが、父は還暦で退職したあと、同じ職種の仕事を。
母は、父の実家の小さい会社の社長をしている。
2人とも休みを取ったり、半休を取ったり、わりと融通がきく仕事ではある。
電話で説明を聞いた母はすぐに父に連絡を取るから待ってて!と、電話を切った。
私の心配はもちろんだが、息子をどうするかということを考えてすぐに来てくれるということになった。
一つ前の記事にも書いたが、実家は車で2時間。 決して近い距離ではないが、本当に助かる。
その後無事に夫と連絡が取れた。
事情が事情だけに、私の妊娠と入院しなければならないことを職場の皆さんに伝え、家によって入院セットを持って、来てくれることになった。
ちょうどその日は会社の新年会の日。
夫の部署は、全部で20人くらいだが、会社としては100人程出席する会らしく、夫は、代表の挨拶をしなければいけないとのこと。
一度息子を引き取り、職場に連れて行き、実家の両親に迎えに行ってもらうという流れになった。
ひとまず息子の心配はなくなった。
1人病室に残った私は、定期的なお腹と腰の痛みと戦っていた。
思い出すのは、息子を産んだ時の陣痛。
予定日を10日超過して促進剤を使った出産だった。
陣痛と戦いながら、どんな痛みだった?と聞かれたらどう表現しようかと考えることで紛らわした。そこでたどり着いた答えが
『内臓から腰に向かって何千本もの針をチクチク刺されている感じ』
まさにその感覚が、今私が感じているものと似ていたのだ。
必死にお腹をさすって「まだだよ」「まだ出てくるのは早いよ」と語りかける。
我慢できない痛みを助産師さんに話すと、痛み止めを打ってくれた。
その痛み止めが痛くて痛くて。。
その後夕食を食べ、就寝。
(不思議とつわりの気持ち悪さが治まっていて食べられた)
何度かトイレも行ったが、出血の量は少し減っていた。でも、トイレに行くのがとても怖い。また大量に出血するんじゃないか…と思ってしまう。
夜も痛みと戦いながら、寝たり起きたりを繰り返すことになった。
入院となった日1。
7週の頃から始まったつわり。
年が明けてもまだ消化不良と戦っていた。
時々吐き。下痢をし。胃痛が起き。
それでも、最初の頃よりは良くなってきたな〜と思っていた。
1月5日(金)
その日は、夫が寝坊をした。
つわりが始まってから、朝がつらい日が多かったので、夫が朝ごはん担当になっていたのだ。
私は深夜に目が覚めたとき気持ちが悪くて、そのあとなかなか寝付けなかった。
布団の中で2時間くらいモヤモヤしていた。
途中、一緒に寝ている息子(3歳半)も目を覚ましてしまい…寝かしつけてるうちに私も眠ってしまったようだ。
そんなことがあり…私が目覚めると、夫が慌てていて寝坊した!と叫んでいるところだった。
夜中気持ち悪かった割に、朝の調子は悪くなかったため、私が朝ごはんを作ることになった。
と、いっても目玉焼きとウインナーを茹でるくらい。にんじんとブロッコリーは夫が前日に茹でておいてくれたので、特に大変なことはなかった。目玉焼きにウインナー、茹でたブロッコリーにんじん、そこにプチトマト。
我が家のいつも通りの朝ごはん。笑
私も目玉焼きだけは食べられるようになっていたので、息子と一緒に朝食を済ませた。
この三連休に、私の両親が泊まりに来ることになっていた。つわりが始まってからは頻繁に来てもらって料理をしたり息子の相手をしたり助けてもらっていた。
実家は私の自宅から車で2時間。近い場所ではないのだが、孫のため娘のため、両親揃って会いに来てくれていた。
その日は、シーツと枕カバーの洗濯だけはしたかったので、洗濯機を回した。つわりが始まってから洗濯も夫に任せていたのだが、やはり仕事をしながら息子の世話をして家事をするのは大変で、洗濯物も溜まっていた。
他のものは目をつぶり、シーツと枕カバーの洗濯を優先。そのあとは、いつも通りホットカーペットの上に横になっていた。
息子は1人で遊んでくれるので本当に助かる。
午後に12週の妊婦健診に行く予定だけだったので、着替えだけ済ませてゆっくりしていた。
そろそろ化粧するか〜なんて考えていたのだけど、なんだかやる気が起こらずうだうだしていた。
そして、10時になる頃。
しゃがんでいた私はビシャっという音とおしっこを漏らしたような感覚に驚いた。
え?なんだこれ。
おりものにしては液体っぽい、、と思ってすぐトイレに。
見てみると、パンツと毛糸のパンツが血だらけになっていた。トイレに座った後もポタポタ垂れてるのがわかる。
やばい。出血した。しかも鮮血。
とりあえずティッシュで押さえて、パンツを履き替えた。すぐにナプキンをつけて、ズボンを履いて。
慌てて旦那に電話をした。手が震える。
「出血した」「どうしよう」
かなり動揺したのを覚えている。
でもどこか冷静で、シーツと枕カバーを干すことと、汚れたパンツを洗うことだけは律儀にやった。そしてさらっとだけど化粧も。
そして病院に電話。
「すぐに来てください」と言われた。
生理2日目くらいの出血量だったし、ドバドバ出てるのがわかる。
これは大変なことなんじゃないか⁉︎、、
と思いながらも、でもお腹痛くないしなぁ〜なんても思っていた。
息子に「ママの病院行こう」と話し、自分で運転をして病院へ急いだ。
長くなるので2に続きます。
切迫流産。
2人目妊娠12週になった日。
つわりが終わらず、つらい日々を送りながらも、
ようやく12週だ〜と喜んだ1月5日、金曜日。
突然の大量出血が起きて入院になりました。
切迫流産。
1人目の時は妊娠時のトラブルがまったくなく。
(つわりはひどかった)
仕事もバリバリやっていた。
切迫流産、という言葉は知っていたけど、
実際にそれを言われて…自分の置かれている状況を理解するまで時間がかかりました。
現在、入院して3日目です。
入院生活を中心に、1人目の妊娠出産、2人目の妊娠のことを綴りたいと思います。
自分の記録も含め。始めます。